ディーゼル王国

 四国では、早くから無煙化が推進されて1970年には蒸機がすべて引退した一方、瀬戸大橋線開業を翌年に控えた1987年まで国鉄の電化区間は全く存在せず、ディーゼル王国の名をほしいままにしていました。また、長距離の路線がないことから特急列車の本数も少なく、長く急行列車が主力として活躍しており、路線別に色分けされたヘッドマークを掲げて颯爽と走っていました。

 高2の夏休みに四国を旅行した折に土讃本線の難所、大歩危・小歩危峡を訪れました。写真は高松と中村を結んでいた急行「あしずり」が第二吉野川橋りょうを渡る姿です。よく見てみると6輛編成中にキハ65形が3輛も連結さてていて、当時としては強力な編成でした。現在ではこの難所も振り子気動車の特急が軽快に駆け抜けていきます。しかし、高速道路の発達でお客の数はずいぶん減ってしまい、貨物列車も廃止されて久しく、往時の賑わいを知る者としては複雑な心境です。

(1980.8.15 土讃本線 大歩危-小歩危 Dosan line Oboke - Koboke)

1980.8.11
1980.8.15
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