63形の面影

 札幌から東京に戻ってきてからは、ED16やEF15などの旧型電機や72系などの旧型国電を主体に、ぽちぽちと撮影していました。東京近郊で遅くまでぶどう色の旧型国電が走っていた路線としては、ここ鶴見線のほかに、南武線、横浜線や青梅、五日市線がありました。しかし、南武線、青梅、五日市線や横浜線の72系電車は、1978年から1979年の秋にかけて相次いで新性能化されてしまいました。その結果、まだ旧型国電が残っていたのは、臨海部の鶴見線と南武線の浜川崎支線だけになっていました。さらに、鶴見線も大川支線のクモハ12を除いて、年末から年明けにかけて101系化されることが決まっており、状況はまさに危急を告げていました。

 そんなある日、鶴見線と南武線の浜川崎支線を訪れました。鶴見までは京浜線の103系電車で向かい、階段を上って鶴見線ホームに行くと、懐かしいぶどう色の3輛編成が待っています。そして、車内に入ってびっくり! 73形オリジナルの三段窓はもとより、年季の入ったニス塗りの車内は時代を超越した雰囲気で、戦後の63形電車の面影が残っているように思われました。こんな電車は今まで見たこともなく、思わず感激してシャッターを切ってしまいました。

 それまで私の知っていた72系電車といえは、アルミサッシ化されて木部がペンキで塗りつぶされていたり、はたまた全金属車だったりして、旧型ではありますがそれなりに近代化されていたものでした。後年知ったところによると、1972年に鶴見線が20m化された当初は72系の中でもオンボロばかりが揃っていたそうですが、南武線が新性能化された際に72系のなかでも体質改善された車が大挙してやって来て、三段窓のオンボロはほとんど駆逐されてしまったそうです。私が乗った車は数少ない生き残りだったわけで、図らずも貴重な経験ができたものだと思っています。

(1979.11.1 鶴見線 鶴見 Tsurumi line Tsurumi)