ED71のこと

 学生生活を始めてひと月が過ぎたゴールデンウィークの一日、新幹線の開通を翌月に控えた東北本線の撮影に出かけました。仙台に引越して初めての写真撮影でした。

 当時の東北本線は言わずと知れた特急街道でした。青森行き「はつかり」、盛岡行き「やまびこ」や仙台行き「ひばり」といった特急たちがひっきりなしに行き交い、その合い間をぬって急行「まつしま」や只見線から直通のキハ52を併結した普通列車、そして貨物列車まで多彩な列車が走っていて大変賑やかでした。それでも福島-仙台間は奥羽本線や常磐線などとの直通列車が走らない、当時の東北本線としては比較的地味な区間でした。

 では、なんでわざわざそんな地味な区間に出かけたかというと、福島-仙台間は勾配がきついため貨物列車が重連になることと、引退が噂されていたED71が多く走っていたからです。東北電化の立役者として1959年に登場したED71も老朽化が進んでおり、新幹線が開通すれば当時主力のED75の運用にも余裕が生じて、早晩ED71の廃車が進むことが予想されていました。

 当時は今のようにネット情報などありませんから、越河の駅で列車を降りて撮影地を探して歩きました。そしてこの場所に陣取ったのですが、画面の真ん中に新しい橋が鎮座していたりしていて、大学生にもなって撮る写真とは思えません。今から見ると、もう少し考えて撮れよ、と言いたくなってしまうところですが、念願のED71重連の貨物列車もやって来て、当時の私はこれでも大満足だったのでしょう。足取りも軽く駅に戻ったことを憶えています。

(1982.5.5 東北本線 越河-白石 Tohoku line Kosugo - Shiroishi)