1975年12月14日の日常

 随分と持って回ったようなお題ですが、これには訳があります。

 1975(昭和50)年12月14日、日本の現役蒸機を知っている世代には忘れることができない日でしょう。この日、室蘭本線の室蘭から岩見沢まで最後のSL旅客列車が走りました。牽引機は鉄道博物館に保存されているC57 135号機です。前年にNHKで放映された「百恵ちゃんのSL」としてすっかり有名になって、この日のお別れ列車の牽引機として抜擢されました。

 当時札幌に住んでいた私も当然、友人と3人で撮りに行きました。出かけた場所は追分から三川寄りに歩いた築堤です。SLマニア1年生の私にとって雪の中の蒸機を撮るのは初めてで、おまけに当日はピーカンの雪晴れで絶好のコンディション、いやがうえにもテンションが上がります。

 随分と長いこと待って、遅れていた最後のSL列車がやって来ました。パチパチとシャッターを切って、もう興奮のるつぼです。意気揚々と駅に戻る途中、何を血迷ったか、フィルムを巻き上げるのも忘れて、カメラの裏蓋をカチッと開けてしまったのでした・・・

 開け放たれたカメラの裏蓋から、撮影済みのフィルムがベロッと見えたときの悲しい気持ちは今でも忘れられません。

 でも、もうこれは、どうすることもできません。

 なんとか気を持ち直して追分駅まで戻ってみると、夕張線の下り貨物列車が出発準備に余念がありません。そして牽引機は蒸機最終全検出場機のD51 603号機です。そこには、以前と全く変わらない日常の蒸機の光景が繰り広げられていました。

 待つことしばし、発車の汽笛とともにD51 603号機から高々と煙が上がり、炭鉱へ向けて大地を踏みしめるように、ゆっくりとした歩みで出発していきました。それは、それまでの傷心の気持ちを癒してくれるような素晴らしい光景でした。

 しかし、わずか10日後にはD51の牽く貨物列車も終焉を迎え、こんな光景も日常ではなくなってしまったのでした。

(1975.12.14 夕張線 追分 Yubari line Oiwake)

さようならSL

一緒に出かけた友人が撮った、さよなら列車の写真です。
このとき私が撮った写真は幻になってしまいました。