大名旅行

 もう20年も前になりますが、20世紀の中国では今と比べると人件費も旅行代もずいぶん安く済みました。その一方でネットのなかった当時、中国国内の列車やホテルなどの手配は大変困難でした。ましてや中国語を解さない私のような者にとって、個人旅行など全く不可能でした。そこで、多くの方が撮影専門のツアーに参加していました。しかしどうしても、ツアーは実施時期が年末年始やゴールデンウィークなどに限られてしまいます。その時期を外して中国まで撮影に行きたいとなると、旅行会社を通じてガイドや運転手などを手配することになります。

 30代の若造が、年上のガイドや運転手を引き連れて朝から晩まで専用車を乗り回すのですから、まさに大名旅行といった趣きで恐縮してしまいます。しかも通常の観光旅行とは勝手が違い、朝食は夜の明ける前にホテルの部屋でカップラーメン、昼食も線路ぎわでカップラーメンという日が続くのですから、付き合っていただいたガイドや運転手にとっては大変迷惑な客だったと思います。それでも良い写真が撮れさえすれば毎晩ビールを飲んで大喜びして、実に楽しく旅行をすることができました。

 そんな楽しい大名旅行も最終日、朝に大板機務段を訪問した後、それまで訪れたことがなかった大板郊外の平原に行ってみました。午前中は視界が悪かったのですが、昼近くになると空気も澄んできて、バックの山並みが印象的な場所でした。熱水に向かう前進型重連は、峠での力闘ぶりが嘘のような軽やかなブラストとともに駆け抜けて行きます。昼過ぎまでに東行きの列車を3本撮影することができて、ここでも満足。北京への夜行列車が待つ赤峰駅へ向かいました。

 赤峰の街で最後の夕食に舌鼓を打ち、いい具合に酔っぱらって寝台車のベットに潜り込む、というのがいつものパターンなのですが、この日は大層列車が混んでいて、軟臥(一等寝台)はおろか硬臥(二等寝台)の切符も取れず、硬座(三等座席)で北京まで行くしかないという衝撃的な事態が待っていました。それまでの大名旅行気分はどこへやら、氷点下20度の隙間風が吹き込む満員の車内で、6人掛けのボックスシートの直角椅子に身を委ねて、多くの人民とともに眠れぬ一夜を過ごすことになってしまいました。そんな苦しい旅行でも、20年後の今日では懐かしく思い出されるのですから、人の記憶というのは良くできているものだと感心しています。

(2000.11.28 集通線 大板-平頂廟 Jitong line Daban - Pingdingmiao)

2000.11.24
蒸気の洗礼
2000.11.25
雪の朝
雪の止んだ朝
等高線に沿って
白銀の熱水
単機牽引
夕暮れ
2000.11.26
風に翻弄されて
重連!
2000.11.27
経棚の朝
経棚のコンクリート橋
オメガからオメガへ
岩山を登る
2000.11.28
朝の大板機務段
・大名旅行