石岡の朝

 1979年に関東鉄道から分離された鹿島鉄道、同時に分離された筑波鉄道が1987年に廃止されてしまったのに対して、自衛隊百里基地の燃料輸送に活路を見いだして、なんとか命脈をつないでいました。1990年度の運輸成績を見てみると、旅客運輸収入316百万円に対して貨物運輸収入は147百万円でしたから、貨物輸送の重要性が知れようというものです。

 そのおかげで、現役時代の筑波鉄道を見ることが叶わなかった私でも、鹿島鉄道の魅力的な車輛たちに会いに行くことができたのでした。石岡駅で常磐線を降りて、跨線橋を渡って鹿島鉄道のホームに立つと、架線のない広い空の下、車庫や構内に佇む車輛たちが目に入ってきます。ホームには加越能鉄道から来たキハ432、ちょっと下がった位置には国鉄から払い下げられたDD13 171が停まっていました。

 何でもないような光景ですが、朝の日を浴びるクラシックな気動車とぶどう色の機関車、ホームや跨線橋といったストラクチャーも素敵です。昭和40年代ならぬ平成の御代に、こんな素朴な鉄道情景が繰り広げられていたのですから、驚きを禁じえません。

 ところで、この車輛たちのその後ですが、キハ432が地元の病院で大切に保存されているのに対して、DD13 171は貨物輸送廃止後、再起を期して中国へ輸出された挙句に行方不明になるという、不幸な結果になってしまったのは残念なことです。

(1990.3.22 鹿島鉄道 石岡 Kashima railway Ishioka)

春風に誘われて