最後の解放形

 20世紀の中国蒸機撮影旅行の基本パターンは、成田を午前に出発して北京で夜行列車に乗り継ぐというものでした。今と違って東京から中国へ向かう空路は北京行きと上海行きしかなくて、東北部や内蒙古に行くのに効率の良いスケジュールを組める、北京行きの午前便は、ANA、JALの他はPIA(パキスタン国際航空、Pakistan International Airlines の略ですが、Perhaps I Arrive と言ってからかわれていた位、よく遅れたそうです。)しかなくて、今は廃止されてしまったANA905便のお世話になることが多かったと記憶しています。

 そして多くの場合、夜行列車に乗るまでの間、北京で少々時間を持て余すことになるので、北京近郊の蒸機に会いに行くこことも多かったです。この年に訪れたのは、北京二七車輛工廠という機関車の製造工場でした。ここには当時5輛の解放形(満鉄ミカイと同一設計の機関車で、後に建設形の基礎となりました)が稼働していて、一般的に訪問可能な場所で見られる残り少ない解放形として知られていました。

 私たちが訪れたのは夕方だったので、もうこの日の作業は終ったのでしょうか、2輛の解放形(JF2285、JF4015)がヤードに佇んでいました。もともとアメリカのALCOが設計した機関車だけあって、後年の中国製コピーとはいっても、いかにもアメリカンな雰囲気が溢れています。そしてJF4015はスポーク動輪をはいていて、よりクラシックな雰囲気を漂わせています。前進形や建設形の走りも格好いいけれども、こうして歴史を感じさせる機関車とじっくり向き合うのも悪くないな、と思って二七車輛工廠を後にして、赤峰に向かう寝台列車に乗り込みました。

(1997.12.27 北京二七車輛工廠 Beijing Feb. 7th Locomotive Works)