新十津川の思い出

 厳しい経営が続くJR北海道、札沼線の北海道医療大学-新十津川も5月7日に廃止が決まっていましたが、武漢肺炎騒動のあおりを受けて、あっけない最期を迎えることになってしまいました。当初は大型連休期間中の5月6日まで運行するはずだったのですが、連休前の4月24日にラストランをすることに変更され、更に緊急事態宣言の発出を受けて、4月17日限りで運休となり、そのまま廃止されることになってしまいました。

 私が最後に札沼線に乗ったのは学生時代の1984年ですから、すでに30年以上前のことになってしまいました。このときも沿線でゆっくりと撮影などする余裕はなく、慌ただしい訪問でした。前日は釧網本線の撮影をして網走で泊まり、当日の午前中は常紋で撮影し、「急行大雪」、「急行なよろ」と乗り継いで、滝川からバスで新十津川に向かいました。そして夕方の札沼線で札幌に行き、その晩は夜行の「急行利尻」で稚内に行って、そのまま天北線経由で札幌まで戻ってくるという、今から考えると無茶苦茶な行程でした。

 学生なんだから、もう少しゆっくりすれば良かったのにとも思いますが、当時は夏休み前半にバイトで金をためて、後半に旅行をしていました。このときも旅行期間は11日間で、北海道に行く前に奥羽本線にも寄っていますから、スケジュールはきつきつでした。

 新十津川駅に着くとキハ46とキハ26の2輛編成が停まっていました。構内にはまだ機回し線が残っていましたが、もう使われることもなくて、すっかり錆び付いています。夏の夕暮れ時、瀟洒な駅舎や腕木式信号機が、何とも好ましい雰囲気を醸し出していました。石狩沼田までの区間が廃止されてから既に10年以上経っていましたが、当時はそれなりの利用客があったように記憶しています。それから幾星霜、ついにこの駅も命脈が尽きてしまったと思うと、寂しさが募ります。

(1984.8.17 札沼線 新十津川 Sassho line Shin-totsukawa)

1984.8.14
南大夕張の印象
1984.8.17
エグゾーストノート高く
新十津川のこと
1984.8.19
DD51重連急行「ニセコ」