「たまりん」のこと
 2007年に廃止されてしまった鹿島鉄道がまだ元気だった1989年、住宅都市整備公団(当時)が開発した南台ニュータウン(フローラルシティ南台)のアクセスのために、石岡南台駅を新設するとともに石岡・玉里間の区間列車を増発しました。その際に新形のKR500形も2輛新製されて、新規需要開拓に対する鹿島鉄道のやる気を感じたものでした。

 鹿島鉄道のKR500形は、多くの第三セクター鉄道で活躍した新潟鐵工所製のNDCの一派ですが、非貫通型の整ったプロポーションで、優しい感じの塗装(後年はシンプルなものに変更されてしまいましたが)も相まって、なかなか好感が持てる車輛でした。当初は主に玉里までの区間列車に運用されていたこともあり、私は勝手に「たまりん」というあだ名で呼んでいました。それまでの鹿島鉄道の車輛といえば、戦前製のキハ42000形を出自とするキハ600形を筆頭に、製造から30年以上たった旧型車ばかりでしたから、快適な新車が好評をもって迎えられたことは想像に難くありません。ほどなく鉾田までの列車にも多用されるようになりました。

 写真は、晩秋の西日をまともに浴びて借宿前付近を走る石岡行きの「たまりん」です。運転士さんも眩しかったのでしょう、サンバイザーを使っているのがわかります。榎本から先の区間は貨物列車が走らなかったので、当時はファンが訪れることも稀でしたが、独特の魅力を持ったロケーションで、不思議と足が向いてしまったものでした。

(1991.11.4 鹿島鉄道 巴川-借宿前 Kashima railway Tomoegawa - Kariyadomae)