混合列車 [記憶に残る鉄道情景] Railway Photos

客車と貨車がひとつの列車に編成される混合列車のように、個性豊かでちょっと懐かしい鉄道情景をご覧いただきたいと思います。

カテゴリ: SL JNR・JR

 日本から現役の蒸気機関車がまさに全廃されようとしていた昭和50年の初夏、小学校6年生になったばかりのガキが東京から札幌に引っ越して、生まれて初めて蒸気機関車を見たときの興奮は、今でもはっきりと覚えています。本屋さんで「SLダイヤ情報」なる雑誌をみつけて、札幌 ...

 昭和の末期から平成の初め頃に函館本線を走っていた「C62ニセコ号」、ゴールデンウィークには毎年かかさず出かけましたが、この時期の北海道は天候が意外と安定せず、ピーカンの青空の下で撮った回数は思いのほか少なかったように記憶しています。 この日も曇りがちで、時 ...

 1882年、北海道最初の鉄道として開業した幌内線、1888年には郁春別(→幾春別)までの支線(後の本線)も開業して、幌内、幾春別、奔別の炭鉱から石炭を運んできました。私が訪れた1975年当時、幾春別、奔別はすでに閉山していましたが、幌内炭鉱はまだ盛業中でした。幌内から ...

 随分と持って回ったようなお題ですが、これには訳があります。 1975(昭和50)年12月14日、日本の現役蒸機を知っている世代には忘れることができない日でしょう。この日、室蘭本線の室蘭から岩見沢まで最後のSL旅客列車が走りました。牽引機は鉄道博物館に保存されているC57 ...

 普段はC12 66号機とともに真岡鉄道で50系客車を牽いているC11 325号機ですが、2001年10月に只見線で「SL&DL会津只見号」として走ったのを契機にして、JR東日本各線に貸し出される機会も多くなり、各地で旧型客車を牽引してファンを楽しませてくれました。 東日本大震災が ...

 毎年ゴールデンウィークに出かけたC62ニセコ号、楽しい思い出は尽きません。函館本線の非電化区間を走るC62、スハ43系の旧型客車、そして煩わしいヘッドマークもない!  蒸機現役時代を彷彿とさせる、最高のシチュエーションがそこにありました。只見線の試運転も、非電化 ...

 1973年に廃車になったC61 20号機、現役時代には縁がなかった群馬県伊勢崎市で静態保存されていた当時は、正直なところ誰も注目していませんでした。それが2009年にJR東日本が動態化すると決めた途端に、一躍注目の的になりました。2010年1月からはじまった動態化作業が大詰 ...

 1988年に「C62ニセコ号」として復活を遂げたC62 3号機、C62重連急行ニセコの現役時代を知らない私たちの世代にとっては、まさに神のような存在でした。 1976年に国鉄の蒸気機関車が全廃されてから間もなく、大井川鉄道や山口線で復活SLが走りだしましたが、大井川鉄道は電 ...

 来日したオリエント急行の牽引という劇的な復活デビューを遂げたD51 498ですが、その後は上越線の高崎-水上間で「SL奥利根号」の先頭に立って、人気を集めることになります。 列車名こそ「SLみなかみ」に変わりましたが、再整備された旧型客車を牽く「SLレトロみなかみ」 ...

 初めて訪れた只見線のC11、午前中は古屋敷で良い音と良い煙を満喫し、午後は第一鉄橋の通称船着き場で撮影することにしました。この日は朝から冷え込んで、日中になってもあまり気温が上がらず、蒸機の撮影にはもってこいでした。午後には曇り空になってしまったたのはちょ ...

 絵に描いたような日の丸構図で、景色もつまらない写真で大変恐縮ですが、小学生当時に撮った私の鉄道趣味の原点のような写真なので、あえて紹介させていただきます。 父親の仕事の関係で小学校6年生の4月に札幌に引っ越しました。岩見沢の駅で偶然見かけた蒸気機関車に興 ...

 上越新幹線が開業して、特急街道だった上越線も普通列車と貨物が主役の地味な路線になってしまいました。それでも並行在来線の第三セクターになっていないだけでも嬉しいことです。立派な施設はそのままで線路容量に余裕ができ、四季を通じて多くの蒸機列車が設定されてい ...

 4月に発生した熊本地震で、南阿蘇鉄道とともにJR九州の豊肥本線も大きな被害を受けました。 豊肥本線は従来から繰り返し土砂災害の被害を受けており、JR化後だけでも、1990年7月から1年3か月、1993年9月から8か月、2004年9月から3か月、2012年7月から1年1か月と4回にわた ...

 昭和63年の春、衝撃的な復活をとげたC62 3号機が牽引する「C62ニセコ」号ですが、復活当初の撮影地選びは試行錯誤の連続でした。現役蒸機が引退してから10年あまり、函館山線で撮影した経験がある人も少なく、撮影地ガイドもほとんどありませんでした。主要道路から撮影で ...

 国鉄最後の現役蒸気機関車は、昭和50年12月14日のC57 135ではなく12月24日のD51 241でもなく、翌年3月2日まで追分の入換作業に従事していた3輛の96(39679、49648、79602)でした。我が国で最初に本格的に量産された大正生まれの機関車が、結局最後の蒸機になったのですから ...

 C62ニセコ号の運行が終了した後は、中国に通うようになったこともあり国内の蒸機からすっかり足が遠のいていました。しかし中国でも蒸機の淘汰が進み、ずいぶん寂しくなってしまいました。という訳で10数年ぶりに国内蒸機を撮りに出掛けることにしました。国内の蒸機は電化 ...

 バブル景気絶頂期の昭和63年、北海道の函館本線にC63 3号機が復活するという大ニュースが駆け巡りました。「急行ニセコ」などを重連で牽引していた伝説の機関車が、昭和48年に現役を引退して以来15年間の眠りから覚めて復活したのでした。ヘッドマークをはじめとする装飾も ...

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