混合列車 [記憶に残る鉄道情景] Railway Photos

客車と貨車がひとつの列車に編成される混合列車のように、個性豊かでちょっと懐かしい鉄道情景をご覧いただきたいと思います。

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 水郡線の西金駅にある採石場から常磐線や千葉方面へ砕石を輸送する西金工臨、かつては毎日のように運転されていていました。DE10がホキを牽いて走る姿は魅力的でしたが、いつでも走っている列車は、マニアの注目を浴びることも少なかったように記憶しています。しかしDE10 ...

 北海道新幹線開業のあおりを受けて廃止されてしまった「トワイライトエクスプレス」ですが、客車の検査期限が切れるまでの1年間に限り、団体専用列車としてJR西日本管内を走りました。なかでも風光明媚な山陰本線をDD51が牽引する山陰ルートは絶大な人気を誇り、沿線でも撮 ...

 行きたくて行きたくて、なかなか行けなかった岡見貨物、ついに前日青浦で見ることができました。何でもない平日で天気予報も良くて、どうにかお休みもいただいて、やっと来ることができたのですが、翌23日は何と「奇数月の第4水曜日」でした! そう、2か月に一回、平日なの ...

 北海道新幹線開通ののあおりを受けて、「カシオペア」や「北斗星」とともに廃止されてしまった、「トワイライトエクスプレス」ですが、しばらくの間は団体専用列車として、JR西日本管内で余生を送っていました。通常の料金では乗ることができない、この手の列車にはあまり ...

 音威子府で黒い蕎麦に舌鼓を打った後、午後は美深で1本撮ってから皆が集まる東恵橋へ向かいました。美深での撤収やその後の移動に少々手間取り、東恵橋に着いたのは結構ぎりぎりになってしまいました。すでに多くの同業者が集まっていて、ラッセルの通過を待っています。  ...

 宗谷本線の定期排雪列車、昼間の時間帯に毎日走るラッセル車として人気を集めています。今はダイヤが変ってしまいましたが、数年前までは音威子府駅で乗務員の昼食休憩を兼ねた長時間停車がありました。この時間は乗務員はもとより、ラッセルを撮影するマニア連中にとって ...

 南稚内から音威子府へ向かう雪372レは4323Dと交換するために、雄信内駅で小休止します。雄信内駅の好ましい雰囲気に魅せられてしまい、追っかけ撮影の途中で時間があるとDE15の姿を見に出かけたものでした。今日では無住となってしまいましたが、かつてはそれなりの住人が ...

 前の年の秋、台風に祟られてしまって会うことができなかった、DD51重連の岡見貨物ですが、何とか撮影したいとの思いが募っていました。しかし平日のみの運転なのはもとより、発電所の検査や故障などによる運休も多くて、おいそれと出かけられない難物でした。 それでも翌2 ...

 日本最北の鉄路、宗谷本線の冬の気象条件は本当に厳しいものがあります。だからこそ日中に定期排雪列車が設定されていて、私を含めて多くのマニアが撮影に出かけることになるのです。しかし、よく雑誌などで見るような、穏やかな晴天のなか新雪をラッセルして来るといった ...

 宗谷ラッセル撮影の2日目は稚内から名寄まで、上りの排雪列車を撮影しながら走ることにしました。この日は大層寒くて風雪も強く、朝から荒れ模様の天気でしたが、朝一番は抜海-勇知間の定番オーバークロスに行きました。先日来の積雪が沿線の木々に積もっていて美しい光景 ...

 かつて、鉄道雑誌としては「鉄道ピクトリアル」「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」の3誌と、模型を主体とした「鉄道模型趣味」誌が定番でした。そんななか、大きな版形と写真を売りにした「Railguy」誌が1976年に創刊されたときには、大きな影響を受けました。これからの時 ...

 DD13とDF50から始まった国鉄ディーゼル機関車の本格的導入は、本線用のDD51を経て支線区用のDE10へ続きましたが、軸重制限の厳しい簡易線向けのディーゼル機関車はDD16の開発を待つことになりました。簡易線用に軸重を12トンに抑えたDD16はDD51の半分の性能を持ち、簡易線 ...

 2012年に初めて訪れてすっかり気に入ってしまった宗谷線のラッセル、翌年は家の用事で行けませんでしたが、2014年の成人の日の3連休を利用して再び訪問しました。 前回は朝の飛行機を利用して、いきなり音威子府を目指したのですが、この年は昼の飛行機を利用して、宗谷南 ...

 成人の日の三連休を利用した宗谷本線ラッセル撮影ツアーの最後は、石北本線の雪551レを撮って旭川空港に向かうことにしました。宗谷本線が単線式ラッセルなのに対して石北本線は複線式ラッセルを使用しているため、複線式ラッセルの写真も一度は撮ってみたいと考えてのこと ...

 春楡(ハルニレ)の別称であるエルム、実は本州でも生えているそうで、五所川原には同名の巨大ショッピングセンターがあったりするのですが、一般には北海道の樹木という印象が強いようで、私などもその響きに仄かな憧れを抱いたりしてしまいます。事実、北海道の列車名とし ...

 東京など遠方に住んでいると、岡見貨物は撮影するのが大変難しい列車でした。山口線、山陰本線の重連を基準にすると、土曜、休日は運休、奇数月の第4水曜も運休、ゴールデンウィークやお盆の期間も運休でした。おまけに発電所の定期検査があれば当然運休しますし、1基しか ...

 全く理不尽だと思うのですが、やっぱり世の中には晴れ男(女)と雨男(女)がいると思います。私の知り合いのS先生などは、天気予報は雨でも写真を撮りに行けば必ず晴れるという特技をお持ちです。それに対して私などは、晴れの天気予報で撮影に行っても、お目当ての列車が通過 ...

 その昔、鉄道写真の世界に「インカーブで望遠使うアホ」という過激な格言がありました。インカーブで望遠レンズを使って撮影すると、パースペクティブの関係から先頭の機関車が相対的に小さく見えてしまい、後に続く客車や貨車ばかりが大きく強調されてしまうので、格好悪 ...

 今日ではすっかりメジャーになった宗谷本線の定期排雪列車ですが、2012年に初めて訪問したときはファンの数も少なく、ゆっくり撮影することができました。その一方で撮影地の情報はまだ少なく、豪快に雪を跳ねる姿を安全に撮影できる場所を探すのも手探りの状態でした。  ...

 2011年秋、海外鉄の飲み会で宗谷線のラッセルを撮りに行かないかと言われました。誘ってくれたのは「SL冬の湿原号」などで度々冬の北海道を訪れているTさんでした。最初は「何ですか?それって。」という感じだったのですが、話を聞いているうちにだんだん興味が湧いてきま ...

 父親の仕事の都合で札幌に引越したのが1975年4月末、小学校6年生のゴールデンウィークでした。それから1年足らずの間でしたが、室蘭本線や幌内線などで最後の蒸気機関車を見ることができたのは非常にラッキーなことで、私の年で現役蒸機を見ることができたのは極めて少数派 ...

 郡山と新津を結ぶ磐越西線は、ちょうど中ほどの喜多方を境に電化区間と非電化区間に分かれており、現在では運転系統も会津若松や喜多方で分離されています。しかし、1990年代に磐越自動車道が開通するまでは、福島県と新潟県を直通する旅客需要もそれなりにあって、キハ58 ...

 会津若松と小出間135.2Kmを結び、美しい沿線風景で知られるローカル線、只見線は1926(大正15)年10月に会津若松-会津坂下間が開通して以来小刻みに部分開業を重ね、半世紀近い歳月をかけて1971(昭和46)年8月に只見-大白川間が開通して、漸く全線開業にこぎつけました。 震 ...

 出雲大社への鉄道といえは現在では「ばたでん」こと一畑電車ですが、1990年に廃止になるまでは国鉄(→JR)にも大社線という路線がありました。いまでも保存されている旧大社駅の駅舎が、和風駅舎の傑作として国指定の重要文化財に指定されていることからもわかるように、往 ...

 急行「ニセコ」といえば何と言ってもC62重連があまりにも有名で、諸先輩方の素晴らしい写真があまた残されており往時の力闘ぶりを今日に伝えています。「あと何年早く生まれていれば」、という繰り言は鉄道趣味の世界では永遠に語り続けられるのではないかと思いますが、一 ...

 2011年に発生した東日本大震災で東北本線が不通になったため、3月25日から4月16日まで3週間余りの間、根岸から上越線、磐越西線経由で郡山まで臨時石油貨物列車が運転されました。磐越西線の貨物列車は既に廃止されていたため各地からDD51が東新潟に集められ、タキ1000形10 ...

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