混合列車 [記憶に残る鉄道情景] Railway Photos

客車と貨車がひとつの列車に編成される混合列車のように、個性豊かでちょっと懐かしい鉄道情景をご覧いただきたいと思います。

カテゴリ: DC JNR・JR

 1977年にデビューしてからすでに40年以上、北海道の地で長く空気のような存在として親しまれてきた、JR北海道のキハ40も、いよいよ終焉のときが近づいてきたようです。後継となるH100形気動車の量産も開始されていて、老朽化が問題になっているキハ40が、今後急速に数を減 ...

 厳しい経営が続くJR北海道、札沼線の北海道医療大学-新十津川も5月7日に廃止が決まっていましたが、武漢肺炎騒動のあおりを受けて、あっけない最期を迎えることになってしまいました。当初は大型連休期間中の5月6日まで運行するはずだったのですが、連休前の4月24日にラス ...

 奥羽本線の新庄から羽越本線の余目まで43キロの陸羽西線、この路線も現在では1日わずか9往復の列車が走るだけのローカル線に落ちぶれてしまいましたが、実は酒田に到達した最初の鉄道でした。羽越本線の開通により東京へのメインルートからは外れてしまいましたが、庄内地 ...

 この年の6月最初の日曜日、「あいづライナー」なきあとも期間限定で走っていた、国鉄特急色の485系快速「あいづ」の終わりも近くなり、天気予報でも終日晴れだったので、磐越西線に出かけました。この日、会津は梅雨入り前の貴重な晴天に恵まれて、若松の最高気温は26℃、 ...

 1985年のゴールデンウィークの前後、4月28日(日)~5月11日(土)までの2週間にわたって、水郡線の水戸~常陸大子間に、梅小路のC56 160号機を使用した「SL奥久慈」号が走りました。 現在では梅小路の蒸機が関東まで出張して来るなどあり得ませんが、当時の国鉄は全国組織で ...

 四国では、早くから無煙化が推進されて1970年には蒸機がすべて引退した一方、瀬戸大橋線開業を翌年に控えた1987年まで国鉄の電化区間は全く存在せず、ディーゼル王国の名をほしいままにしていました。また、長距離の路線がないことから特急列車の本数も少なく、長く急行列 ...

 晩秋の斜光線を浴びてアウトカーブを走るタラコ色のキハ40+キハ35+キハ20の3輛編成、中継信号機の先ではススキが輝いています。どこのローカル線の情景かと思われますが、実は東京都内、今では電化されて通勤電車が疾駆する八高線八王子口でのひとこまです。当時、東京近郊 ...

 長崎本線、喜々津-東園間といえば、C55、C57やC60、C61といった急客機の活躍舞台となった名撮影地です。寝台特急「さくら」を筆頭に数々の名列車が駆け抜け、あまたの傑作写真を生み出してきた区間ですが、私のような若輩者には想像することしかできない世界です。 風光明 ...

 現在東京から一番近くでキハ40を見ることができる烏山線ですが、ご多聞にもれずJR化後は変てこりんな塗装にされていました。しかし、烏山線開業88周年を記念して2011年に2輛が国鉄一般色に改められ、俄然注目を浴びるようになりました。キハ40系気動車は登場時から首都圏色 ...

 函館から網走まで延々10時間以上かけて走る「おおとり」は、釧路行きの「おおぞら」とならんで当時の北海道を代表する特急列車でした。しかし、札幌始発の列車もあった釧路行きの「おおぞら」と比べると地味な印象は否めず、函館本線の山線回りで稚内行きの急行「宗谷」の ...

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